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DEC 12

夢に向かって

職員室だより

 理想というのは夢でもある。我が家はこのようにしたい、学校はこのようにしたいなど、みんなそれぞれに夢があると思う。しかし、現実はなかなかそのようになっていない事が多い。そうすると愚痴を言ったり、現実から逃れようとしたりするのが普通だと思うが、その時こそ知恵や工夫が必要だと思う。よく現状に不平を言う人はいるが、どんな時でも悪い事ばかりではない。必ず良い事があるのだが、とかく人は悪い方にばかり目が行きやすく、現状の良い所は見落としがちのような気がする。

 例えば、第二次世界大戦でロンドンは爆撃を受けて学校は田舎に疎開したとき、教室が満足にない状態だったようである。大変で悪いことのようである。でもそんな状態の中で考え出されたのがオープンシステムだったそうである。即ち、壁の無い教室で、やり方を工夫し、今までとやり方を変えて教育をしたそうである。そのやり方を大戦後アメリカが取り入れ、もうだいぶ前の事だが、日本でもオープンシステムの学校が静岡県で出来たと聞いている。

 私の子供は全て女の子である。妻 は1人ぐらい男ならいいのにと言っていたが、私はそんなことはない、女の子だけならその良さを活かせばよいと考えた。そして仲良くさせることを考え、次の子供が生まれた時に、妻に「お姉さんと言う言葉は良い時だけに使おう。お姉さんだから連れて行けるとか、お姉さんだから食べられるねとか、お姉さんだから嬉しいと思わせるようにして、『お姉さんだから我慢しなさい。』とか、いやだと思う時には『お姉さんと言う言葉は使わない様にしよう。』と話し合った。その為か今でも皆はとても仲が良い姉妹になっている。

 しかし、私の家庭の場合は、子供が女の子ですから結婚してから、私の墓を娘の旦那に作らせようとは思わないので、十分なお金はなかったが、工夫して私がまだ生きているうちに自分のお墓を作った。そのお墓の墓石には「中山家の墓」等とは書かずに「夢に向かって」と書いた。誰にでも夢はあると思う。こうなればいい、ああなればいいと思うことはいろいろあると思うが、現実はその通りにならない事が多い。現実が思うようにいかなければ、夢は諦めるのか?現実は理想通りになっていなくても、必ず良い所はあるはずである。そして誰もが理想に向かって考えて、理想に近づくようにすべきではないのか?

 私はずっといろいろな学校に勤めてきたので、学校を見ていて、学校の理想は何かと考えた。大勢の人が憧れ、大勢の人がその学校に入りたいと思うような学校、その学校に入れば、将来は立派に世の中を支える人になれる、そういう夢が無くては良い学校にはならないと思う。どこの学校でも、しっかりやっている先生は随分多いと思うが、先生の中には給料が安い、手のかかる生徒がいる、生徒はしっかり勉強しない、先の見通しがないなど、不満ばかり言う先生もいるのは事実だ。でも、大体の先生方は生徒を愛し、生徒は宝だと思っている先生も多いと思う。現実はそうなってはいないと言う先生がいるなら、学校だから、夢に近づけたら良いのではないか?

 私の亡き後、子供たち、(子供や孫〔子供の子供〕や卒業生〔学校で教えた子供〕が私の墓をお参りに来た時、「ああ先生はいつも夢に向かって進むようにいろいろ工夫していたな」と自分も理想に向かって進むようにいろいろ工夫しようと思うようになれば良いと思っている。現実を見て不満ばかり考えているのではなく、現実を良くする工夫が必要ではないかと思う。それが「夢に向かって」である。(校長 中山 理)

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