英国だより

第71回目-英国王(チャールズ)-

歴史を学ぶと必然的に活躍した人物の名前を覚えなければいけません。英国の歴史となれば、王様や王女様の名前を暗記して混乱することがあります。その原因は内容をよく理解していないからかもしれません。英語を学んでいるので、ほかの国のカタカナ表示がある人物よりは覚えやすいかもしれません。世界史の教科書でほんの1~2行の説明でも、英国史では史実だけでなくその背景にある物語も学びます。

歴史上、チャールズ王は幾人か登場します。現在の王室にも、次期王様となるチャールズ皇太子がいらっしゃいます。英語prince(プリンス)からすると皇太子と呼ぶ日本語はおかしいのかもしれません。今年、女王様は90歳 の誕生日を迎えますので、67歳の皇太子は王位年数が長くないかもしれません。英国は王との長い戦いを乗り越え、世界でもいち早く議会政治が始まり立憲政治体制を確立しました。王室の方が政治的な発言をするとすぐに世論が反応をし、時に廃止を訴える人々もいます。

チャールズ皇太子は女王にとって長男であるため、イギリスがウェールズを1301年に統合をして以来、ウェールズ殿下Prince of Wales(His Royal Highness)と呼ばれます。建築や環境問題に関心があり、1990年に自ら創設した自然食品オーガニックブランドのダッチー・オリジナルズDuchy Originalsから、紅茶やビスケットなどを販売しています。2015年の夏からは、スーパー・マーケットのウエイトローズと提携してWaitrose Duchy Originalsとして野菜やパンなどに至る食品を販売しています。包装には購入すると殿下が行っているチャリティー団体に寄付されprovide a donation to The Price of Wales’s Charitable Foundation持続可能な農業を支援していると書かれています。which helps farmers more sustainable farming practices王室の方々はそれぞれチャリティ―活動を行い社会貢献をします。常に監視され、さらにマスコミの批判にさらされる宿命を背負いながら皇族としての義務を果たしている姿には、やはり頭が下がります。最近ではウエブサイトで活動の内容を見ることが出来ます。www.princeofwales.gov.uk

1649年1月30日に民衆の前で処刑されたのはチャールズ1世です。この日に近い日曜日に当時の様子を再現して行列をする行事があり、数年前に見に行ったことがあります。みぞれが降る寒い日でしたが、当時の服装をして行進をし、最後はホワイトホールの庭で儀式を行いました。処刑を目撃し日記に記した人物は、68回目にあるようにピープス16歳 のときでした。チャーズル1世は父親(ジェームズ王)と同様に、王権神授説を唱え、権利の請願を突きつけられました。王は絶対王政を唱え、議会と対立します。一方、民衆の中心にいる清教徒たちは王の権力に立ち向かい、ついに市民戦争となりました。その結果、王党派が負けたために王は反逆罪として死刑になりました。それを決定した裁判官たちがサインをした書面を、国会議事堂内で見ることが出来ます。今年の暖冬とは違い、当時は寒い日でしたので、恐れて震えているのではないと示すために厚着をした話が残っています。バンケティング・ハウスBanqueting Houseの前で処刑された後、頭は遺体と縫い合わされウエストミンスター寺院Westminster Abbeyではなく、ウインザー城Windsor Castleに埋葬されました。トラファルガー広場の前に、彼が馬に乗った勇ましい姿の銅像があります。彼のゆかりの場所はほかにもありますので、興味は尽きません。

当時、日本は鎖国を決め1641年に平戸からオランダ商館が長崎に移ります。日本の経済は海外との結びつきがなくとも成り立っていました。想像もつかない自給自足の時代で、今では世界のどこの国でも輸出入に頼らずには生活できない日々になっています。1651年には徳川家光から4代目の家綱が将軍になり、幕府の機構を整えつつ、独自の文化を咲かせていきます。そのようなときに、英国は王の首をはね、共和制となってヨーロッパの人々を驚かせたのです。

このように時代の流れを見ながら、ほかの国と比較してみると歴史は一層楽しく、興味がわくはずです。イギリスに住んでいる生徒たちにはいつも好奇心を持って見たり聞いたりして、パワー全開の生活を過ごしてほしいと願っています。